今日はつぶやきです。
子どもはこうあるべき。母親はこうあるべき。父親はこうあるべき。教師はこうあるべき。
こうでなければならないことに支配された子育ては誰のためにあるのでしょうか。
子育ての姿勢は子どもの考え方の根っこを作ります。その子どもたちが社会のルールを作っていきます。私たち大人は将来、老人はこうあるべき、といわれるかもしれません。
幸せとは?
それは個人の感情です。定義できるものではありません。親は子どもに幸せの答えを教えることはできません。だったら何を教えましょうか?
それを一緒に考えていきたい、そう思ってペガサスを作りました。
○○せねばならないことばかりの世の中かもしれませんが、実はそうじゃなくてもいいことのほうが多いのかもしれません。
先日ある宗教の方がこういいました。
「この宗教に入らない人は必ず不幸になる。ここの信者は震災でも助かった。ほかの宗教に入ると必ず罰が当たる。不幸が終わることはない。」
私の身を案じ必死に誘ってくださっているようにも見えましたが、お話を聞いているうちに別の感情もわきました。
この方は、この宗教に入らなければならない、と思っている。そうでなければ幸せになれないと思っている。本当にそう信じている…
世の中は、生きるということは、そんなに綱渡りではないはずでしょう?
宗教を否定しているのではありません。ですが、そうでなければならないと訴えるその方が苦しそうに見えたのです。
話を戻します。
私たちは子育てにおいて必要なルールとそうでないものを見極める勇気を持つ必要があります。それは自分自身が流されない覚悟をするということです。あなたのお子さんがお隣の○○ちゃんと同じことができることはそれほど重要ではありません。
必要なタイミングで必要なことをしましょう。それは一人ひとり違うのです。
時間をかけて世の中を変えるのではありません。今、私たちが、姿勢を変えるのです。覚悟と勇気を持って。わが子がみんなと同じことができなくても、そのタイミングを待つのです。
今できないけれど必ずできるようになると信じ、または、その代わりにできることを考え、支えていきましょう。
周りにはその理解を求める努力をしましょう。
「今はできないけど頑張っています。できないことは手伝ってもらうかもしれません。その時はよろしくお願いします。」
私はその勇気と覚悟を応援し続けます。